fukunaga.jpg 福永 武彦
1918年3月19日 - 1979年8月13日
福岡県二日市町(現筑紫野市)生まれ。開成中学・第一高等学校を経て東京帝国大学文学部仏文科卒業。1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、3ヶ月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、翌年再び帯広に渡り、帯広中学校の英語教師として赴任する[1]。その年に処女作「塔」を発表。しかし冬に肋膜炎を再発し、1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した。
その間に同級生(旧制高校)の中村真一郎、加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成し、日本語での押韻定型詩の可能性を追求した。戦後この三人で、『1946年・文学的考察』を刊行し、戦場での体験や左翼運動を経験した第一次戦後派作家とは距離をおいた文学活動をはじめた。
1954年の長編小説「草の花」で、作家としての地位を確立。人間の心理を奥深く探る方法で、多くの長編小説を発表した。中村真一郎とともに堀辰雄の薫陶を受け、『堀辰雄全集』の編纂にも何度もかかわった。学習院大学で長く教鞭をとり、ヨーロッパの最先端の文学動向をよく論じた。ボードレールなどの翻訳や芸術家を主題にしたエッセイでも名高い。古典の現代語訳も多く試み、『日本書紀』、『古事記』(現:河出文庫所収)『今昔物語集』(現:ちくま文庫所収)の翻訳は高い評価を得ている。
また、中村真一郎・堀田善衛とともに「発光妖精とモスラ」(のちに筑摩書房)を書き、映画「モスラ」の原作となった。また、中村真一郎・丸谷才一と組んで、西洋推理小説をめぐるエッセイ『深夜の散歩』(早川書房のち文庫化)を刊行し、さらに加田伶太郎の名前で推理小説を書き、のちに『加田伶太郎全集』全1巻で刊行されている。
幼少時にキリスト教伝道師である母親のもとを離れて、父親に預けられた。母親との約束を守り、父親は開成中学時代までは教会に武彦を連れて出席した。しかし、その後武彦は教会から遠ざかる。死の二年前1977年、クリスチャンになりキリスト教朝顔教会の井出定治牧師により、病床洗礼を受けた。死ぬまでの二年間は教会に通い、聖書をギリシア語などで、原典に忠実に読んだ。1979年、脳内出血で死去。朝顔教会で教会葬[2]を行った。同人仲間の原條あき子(詩人、2003年没)との間に作家池澤夏樹がおり、声優池澤春菜は孫娘である。


fukunaga.JPG

あらや