新世紀へようこそ 087

 あまりに根源的な解決策 3

 しばらく海外で暮らすことになって、移動などに手間
取り、配信が遅れました。

このシリーズも3回目になりました。

 多くの返信をいただいています(掲載許可をいただい
たものについては、下記アドレスで紹介しています。ご
参照ください)。
http://www.impala.jp/century/comment/interest.html
 
 今回の主題はイスラム社会における利子の話です。

 イスラムは利子を禁止していると言われますが、これ
はどういうことか。

 イスラムでは利子は「リバー」と呼ばれます。

 「アッラーは商売はお許しになった。だが利息取りは
禁じ給うた。神様からお小言を頂戴しておとなしくそん
なことをやめるなら、まあ、それまでに儲けた分だけは
見のがしてもやろうし、ともかくアッラーは悪くはなさ
るまい。だがまた逆戻りなどするようなら、それこそ地
獄の劫火の住人となって、永遠に出してはいただけまい
ぞ」(『コーラン』のうち「雌牛」の章、275節 井
筒俊彦訳 岩波文庫) 

 これが利子というものに対するイスラムの基本姿勢で
す。利子を取ることを前提に金を貸してはいけない。

 マホメットは啓示を受けるまでは商人でしたから、貨
幣というものの働きをよく知っていた。商品の交換を媒
介するという本来の機能と、利を生むという機能を区別
して考えていた。

 座して金が増えるのを待つ不労所得の反倫理性に気づ
いていた。

 それでは元手を集めての商売ができないではないか、
と考えるのは早計です。

 投資に対する配当と利子は異なるからです。

 資金を持つ者と技術や能力を持つ者が協力して一つの
事業を興し、得られた利益を配分する。これは認められ
ます。しかし機械的に金を貸して機械的に利子(あるい
は高利)を取ることは認められない。貸し手の安全を保
証するために担保を取ることも原則的には認めない。

 借り手に対して貸し手が強くなりすぎるのはよろしく
ない。

 資金の提供者と実務者の協力で利を得る協業の典型が
『アラビアン・ナイト』の中の「船乗りシンドバッド」
の話です。彼は仲間から資金を募って、それで商品を買
い、船で異国に運んで高く売って利を得ます。そして故
郷に帰ってその利を投資した人たちに配分し、自分の取
り分も得る。

 物語の中では、この才覚あふれる冒険的な貿易商は途
中で難破してすべてを失い、なおも冒険を続けて、最後
には思いもよらぬ手段で利を得て故国の港に戻ります
(宝石だらけの谷に落ちて、ポケットに宝石を入れた上
で、巨大な鳥の足に自分を縛り付けて脱出するとか)。

 投資に必ず配当をつけて仲間に返すからこそ、彼は優
れた商人であり、イスラム世界の英雄なのです。

 イスラム社会が21世紀の今、どういう経済原則で運
営されているか、一つの例として、Bさんから報告があ
ったクウェート銀行の融資の仕組みを挙げてみます。

「自分で初めに購入したい家を見つけ、クェート銀行が
その家を購入し、その後クェート銀行からその家を売っ
てもらい、後は25年以内に月々家賃のようにクェート
銀行に返済します。この場合、借りる限度額は、年収の
3倍までです。

 例えば80、000ポンドを借りて、20年に渡り返
済する場合は、月々620ポンド返していくことになる。
ということは、借りた元金の2倍近くを返済することに
なります。

 このことを電話で応対した銀行員に問いただすと、一
般の銀行とは融資の組み立てが違うだけで、実際の総返
済額はあまり変わらないと言われました。

 これではイスラム法に則った融資とはいっても建前だ
けで、「利子」という言葉を使わないだけの話です。

 クェート銀行のこのThe Manzil Home Purchase Plans
については、 www.iibu.comで詳しく御覧いただけます。」
 (Bさんの報告はここまで)
 
 ぼくは「利子」という言葉を使わないという点が大事
だと考えます。結果的に同じことに見えても、利子に対
する警戒を忘れなければ、金融資本の活動に一定の枠が
はめられる。

 現代のヘッジファンドは、わずかな自己資金を担保に
大きな資金を引き出し、それを担保に更になおも大きな
資金を借り入れた上で、弱小国などに集中的にそそぎ込
んで利を得ます。一国の国民みんなの労働の成果をみん
な持っていってしまう。

 こういうことが行われるのは、巨額の資金を貸し付け
る側が短期の高利を前提にしているからです。

 国際金融資本の暴走を防ぐのに、イスラムの思想は役
に立つのではないか。

 専門家の説明を見てみましょう。

 「1970年代後半以降、イスラム回帰という時流の
中、リバーを利子一般と解し、イスラムの理念に忠実に、
利子を排した銀行業務を行うイスラム金融制度が世界各
地に設立された。その際に採用された基本的形態がムダ
ーラバ契約であり、預金者と銀行との間に、また銀行と
資金借入業主との間に、ムダーラバ契約を結び、事業か
ら生じた利益は契約時にあらかじめ合意された比率に応
じて分配された。」(平凡社刊『新イスラム事典』の
「イスラム銀行」の項。執筆者は加藤博さん)

 このムダーラバという言葉は協業と訳されます。船乗
りシンドバッドのやりかたです。家のローンの場合なら
ば、家を建て、そこに暮らしながら働いて収入を得るこ
とを一つの事業と見るのでしょう。

 イスラム銀行はその後も増えて、今ではIMFなども
認める金融機関になっているそうです。

 利子を巡るイスラムの思想は決して固定したものでは
なく、今もさまざまな議論があり、多くの試みがなされ
ています。もともと「リバー」は利息一般ではなく高利
のことだという意見もあったようです。抵当権を認める
説もあるらしい。

それでもイスラムの利子論は、強くなりすぎた現代の
金融資本に対する一つの代替案として意義があるとぼく
は考えます。

 利子を禁ずる神学的な理由は何なのでしょう。

 リバーの語源は増殖ということです。

 イスラムは一神教です。

 最も徹底した一神教であるということができる。

 この世界はすべて神の意思の表現であり、そうでない
ものは一つもない。

 古き多神教の信仰は豊穣の祭儀と結びついていました。

 祭儀を執り行う祭司はしばしば精霊を呼んで、豊作の
確約をとりつけようとしました。

 一神教はそういうマジカルな自然への働きかけを否定
するところから出発します。

 神の祝福なしに精霊が勝手に穀物を増殖させてはいけ
ない。穀物が増殖するか否かを決めるのは神でなければ
ならない。
 
 精霊の働きと金融の場における貨幣の働きは似ている。

 それは共に神なきところで増殖に関わります。

 限定なき増殖は、つまり無限ということ。無限は神の
みの属性であるのだから、貨幣が勝手に増殖することは
許されない。それは偽の神を立てることになる

 イスラムが利子を禁じている根源の理由はこれではな
いかと思います。

 社会は制度によって成り立っています。

 しかし、そこに住む者には万事の規範と見える制度も、
一歩外に踏み出せば疑うことができる。

 今のぼくたちは高度資本主義という井戸の底から夜空
を見ています。空はぼくたちが思っているより広く、井
戸の底からは見えない星がたくさんあるのではないでし
ょうか。

 利子とイスラム神学の関係については中沢新一著『緑の
資本論』(集英社)が参考になります。

         (池澤夏樹 2002−07−12)

『新イスラム事典』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4582126332/impala-22/

『緑の資本論』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4087745767/impala-22/

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